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トップページ > 自立再生論02目次 > R01.05.15 第百二十三回 本能と理性 その十

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百二十三回 本能と理性 その十

あまつかみ くにつかみをぞ おこたらず いはひまつるは くにからのみち
(天津神国津神をぞ怠らず祭祀るは国幹の道)


特殊性(個別性、限定性)と一般性(普遍性)とは、一次元世界では両立しえないものですが、異次元世界では両立しうる場合があります。これは、論理学において、どのやうな概念として定義をするのかによつて決まるものであり、決して矛盾するものではありません。

個別的、限定的、特殊的なものが、それぞれすべての領域と事象で一様に成立してゐるときは、「特殊的普遍性」といふことが肯定されます。つまり、ひな形構造、フラクタル構造であるときは、個別的なものが規則的に統合されて普遍性を持つからです。


その典型例が祭祀です。祭祀は、そもそも民族ごとに特殊性(個別性、限定性)があるものです。しかし、その祭祀は、どの民族にもどの地域にもどの時代にも等しく存在します。しかも、太古の昔から存在してゐるのです。

現在では祭祀否定の世界宗教なるものが蔓延してしまつたことによつて、人類全体の祭祀の感覚が稀薄になりましたが、それでも連綿として祭祀は続いてゐます。そのため、祭祀は、歴史的に見て、一般性(普遍性)が認められるのです。


その祭祀への人々の感性は、強いか弱いかの個人差はあつても、個人にも、家族にも、部族、民族のすべてに備はつてゐます。まさに本能の働きなのです。


その感性は、眼(視覚)、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、舌(味覚)、皮膚(身、触覚)といふ「五官」の感覚器官の作用(五感)に基づいて生まれます。仏教でいふ六根には、この五感(五根)に「意」を加へますが、「意」は思考活動ですので、五感とは異質です。

五感は受け身(受容)ですから、その受容作用自体は大脳の思考ではありません。五感による刺激を受容してから大脳思考が始まるのです。ですから、五感は本能なのです。


ところが、「意」はまさに思考活動ですから、大脳思考の作用であり、「理性」です。しかし、五感でもなく、意(理性)でもない、「第六感」といふ五感を超える感覚としての、「勘」とか、「閃き」とか、「直観」とか、「悟り」とか、「超常体験」とか、「インスピレーション」などの言葉で説明される感覚があります。

何らの予測もなく、努力感もなく、突如として、ときには超自然的に与へられる主観的体験があるのです。

これも、大脳思考の産物ではないので、本能の働きに属します。大脳の作用は、思考の他に、直観の受信があるといふことです。


本能の領域は、大脳のみに限定された理性の領域とは比べものにならないほど広大かつ深奥です。大脳だけでなく、全身の各部位が本能の作用する領域だからです。


この本能の作用である第六感の領域に関するものについて、世界の古典の中で詳しく描いてゐるものは、古事記、日本書紀です。

それは、天照大神と素戔鳴尊(須佐之男命)による「うけひ」(誓約、誓盟、請霊、承霊)です。

この「うけひ」とは、祖先の「ひ」(霊)を「うけ」(受)ること、祖先との交信(祈り)、祖先の声を聞くことで、それが直観の源泉です。


魏志倭人伝に、「親魏倭王」の卑弥呼が「鬼道」を行ふとの記述がありますが、鬼道とは、まさにこの「うけひ」のことです。

「鬼」といふのは、支那では尊ぶべき死者や神の霊魂を意味します。我が国では、「おに(隠)」をこの「鬼」に置き換へたことにより、意味が混乱し、この「見えないもの」の意味から、妖怪のやうに人に害をなすものへと転化して否定的な概念となつたり、あるいは、アラミタマ(荒御魂)として受け入れたりすることになりましたが、支那の「鬼」と我が国の「おに」とは意味が異なつてゐるのです。


「魏」の国名には、「鬼」の字があり、しかも、これに「委」が寄り添つた文字です。「委」とは、稲穂(禾)を戴いた「女」性の穏やかさ、しなやかさを意味しますので、「魏」とは、「委なる鬼」、つまり、大和言葉で言へば、ニキミタマ(和御魂)を意味する国名になつてゐます。

我が国は、「いのちのね」(命の根)の「いね(稻)」の穂を携へられた天孫が降臨された国であり、魏が我が国(ヤマト)を「倭」と名付けたのは、我が国を人が委(和)する国と見たことによるものです。


あまつくにから ゐをこえて よひぬちふゆる やそわせも
  うゑねとほさへ すめろきは たむけいのりし おんみなれ
(天津國から居を越えて夜晝ぬち殖ゆる八十早稻も植ゑね(根)と穗さへ天皇は手向け祈りし御身なれ)


「倭」とは、「矮小」な体つきの人々の国といふ意味の呼称などと、真しやかに自虐的に唱へられてゐるやうな蔑称を意味するものではありません。

自国の国名に「委」と「鬼」を用ゐた国が、他国を「委」の付く国名で呼んだのは、極めて好意的な意味であり、これを侮蔑的に用ゐたとするのは自己矛盾になるのは誰が考へても明らかなことです。


ともあれ、このやうな祖先祭祀の基本となる「うけひ」(鬼道)が解るのは東洋だけであり、その当時からでも、西洋では、合理主義に冒されてこのことが理解ができなくなつてゐました。


ソクラテスが死刑になつたのは、理性至上主義の世界において、デーモン(死者)の声が聞こえるといふソクラテスの言葉はタブーであり、そのことを語つて人々を惑はせたことが死刑となつた理由でした。この当時でも、そして、近代になつてからでも、西洋でこのことが理解できるのは、最近では、チェスタトンとか、オルデカなどの極限られた少数の人たちだけでした。しかし、彼らですら、死者と祖先との区別が付かず、ましてや祭祀を忘却したままの人たちでした。


人は、今生きてゐる他人との繋がりだけでは不充分であり、父母や祖先との繋がりを自覚することで初めて人となります。


ひふみよいむなやこと


一から十までといふと、何から何までの全てを意味しますが、この一から十までの数霊のすべてを備へ、その数霊による生命機能の働きをするのが人なのです。だから、初めの「ひ」と終はりの「と」で「ひと」なのです。

漢字で表現すれば「人」となり、いかにも味気ないものです。これは横から見た人の形を象つた象形文字です。しかし、これを「ノ」の部分の自分だけでは倒れるので、後ろから別の人が支へくれてゐる姿だとして、他人との協働や共同体の重要性を説く寓意的な見解があるものの、自己の命と生活を繋ひでいただいたのが祖先であり、その尊い経験の伝承のおかげであることを知らなければならないのです。


これまでの学問は、祭祀の視点で述べたり、祭祀の変遷といふ視座から捉へることを全くして来なかつたために、来たるべき将来の展望を描くことができないのです。

考古学でも、祭祀のことに言及するのは、遺跡を調査して、それが祭祀の斎場跡であらうとする物質的な考察だけで、その祭祀がどのやうなものであつたかについて具体的な検証と検討がなされないのです。単に、考古「物」学に過ぎないのです。


それでも、考古学は、当初において、記紀の記述と齟齬する事実が次々と発見されて、記紀の誤りや虚構を証明できるのではないかと期待してゐた人が居ましたが、いまではその期待は外れて、記紀が史実であつたことを考古学によつて徐々に証明されつつあります。


このやうに、理性万能の立場で歴史を研究する視点では、もう限界がきてゐます。もう一度、過去の歴史研究を祭祀の視点から再構築する必要があります。


ただ、記紀には記載されてゐない事柄も多いことが解つてきました。特に、縄文時代から活躍してゐた海の民、海人族のこと、渡海技術や海洋交流の歴史など記紀には記載がありません。


因幡の素兎の伝承で登場する和邇(ワニ)や、火照命(ホデリノミコト)または火闌降命(ホノスソリノミコト)として登場する海幸彦、それに、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアヘズノミコト)を産んだ後に八尋鰐の姿となつて海に帰つたとする海神の娘である豊玉姫(トヨタマヒメ)などの伝承からすると、何らかの理由で、海の民が大和朝廷の側近として仕へながらも、いつしか主流から外れて組み込まれることがなかつたために、記紀には記載されなかつたのです。


いづれにしても、我々がなすべきことは、考古学的発見を踏まへて、記紀その他の各地の伝承等を理解した上で、祖先祭祀、自然祭祀、英霊祭祀といふ祭祀総体の姿がどのやうなものであつたかを見極め、それを現代において再現・復活し、それぞれが祭祀を実践して、世界的規模で祭祀の復興を実現することにあるのです。


南出喜久治(令和元年5月15日記す)


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