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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百四十回 祭祀と宗教 その一

いつきすて おやうまごすて ゆだぬれば すくふとだます あだしのをしへ
(祭祀棄て祖先子孫棄て委ぬれば救ふと騙す外國の宗教)


信仰の世界において、祭祀と宗教とは、「孝」を基軸とするか否かの攻防の歴史を刻んできました。


「孝」といふのは、漢語の解字では、「老」と「子」で構成され、子が老人を背負つてゐる象形文字です。この字を以て、子が親を敬ひ、親に仕へて祖先を祭りその志を受け継ぐといふ意味に昇華させ代用してきたのです。父母にも父母が居て、それが永遠に遡つて遠つ親(祖先)に至りますので、「孝」は、とほつおや(祖先)を敬ふ祖先崇拝することを意味することになりました。

そして、とほつおやを尊崇して仕へるといふことは、祖霊が御座すことを前提としますから、当然に「霊魂不滅」です。霊魂の不滅を前提としなければ祖先祭祀は成り立たないからです。


そして、祖先崇拝と霊魂不滅は、我が大和民族は勿論、ケルト族や古代ゲルマン族などの世界の祭祀の民に共通した教へとして、その実践が日常的になされてきました。


本来は、人類すべては祭祀の民でした。しかし、孝を捨て祭祀を捨てた宗教の民が増えて祭祀の民は追ひ遣られて行つた経緯が、これまでの信仰世界における世界史なのです。

もともとは祭祀の民が宗教の民となつて、祭祀の心、孝の精神を稀薄にさせ、ついには失つて世界は混乱しました。世界の歴史をこの視点で捉へ直す必要があります。


とほつおやを敬つて仕へるといふ「祖先崇拝」と「霊魂不滅」の精神、そして、「祭祀」の入口となる初歩的な言葉が「孝」です。この初歩的な言葉である「孝」に対応する大和言葉は有りません。「孝」の訓読みがないのです。そのため、深遠なる「祖先崇拝」と「霊魂不滅」と祭祀の道を示す言葉としては、一言で表すことができないので、以下は、この「孝」の言葉で、祖先崇拝、霊魂の不滅、祭祀の道(いはひまつりのみち)などの意味を包括して示す言葉として代用することにします。


孝は百行の本。


武士道も忠義も武勇も孝から始まります。祖先に恥をさらさないためです。自らの恥は祖先の恥になるからです。


ケルト人については、戦ひ破れたケルト軍人が妻を殺害した上で自害して無理心中を描いた期限前3世紀の大理石像があります。

妻も夫の為すがまま身を委ねて覚悟してゐます。そして、凜々しくケルト軍人は自害するのです。

これは、三島由紀夫の「憂国」の小説、そして、これが映画化されたシーンを連想させる石像です。


では、この精神性をどう理解すればよいのでせうか。


これは、敗戦の恥辱を抱いたまま、おめおめと生きながらへ、そしていつしか死んで祖霊の元に戻つたとき、それでは祖先に顔向けできないといふことこそが最大の恥辱と感じてゐるからです。子孫の恥は祖先の恥になります。そのために、夫婦が一心同体となつて、祖先の元に帰るといふ思想が、ケルト族の武士道なのです。これにより、妻は、夫とともに祖先の子孫として迎へ入れられる栄誉を得るのです。


忠孝といふ言葉があります。


忠と孝のいづれが優先するのか。そして、忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず、といふ忠孝の相剋に、どう身を処すればよいのかといふことです。萱野三平が直面した問題です。


本来、忠とは、孔子の説いた仁の基本、すなはち忠恕であり、まごころのことです。

これは、孝の実践によつて育まれるものです。それは、孝が百行の本だからです。そして、臣下が主君に仕へる道にも忠が求められます。つまり、封土を分けて諸侯を建てること(封建)により、主君の恩顧に報ひる臣下の献身としての忠が求められ、臣下は一所懸命を貫くことになります。


祖先が主君から賜つた財産(土地)の恩顧に報ゆるために末代まで求められる忠は、祖先から賜つた生命(血縁)の恩顧に報ゆるために子孫に求められる孝とを比べると、孝に優る忠はなく、孝あつての忠なのです。


財産(忠)と生命(孝)との比較なのですが、命あつての物種なので、比べものにはなりません。ですから、ケルト人の孝は、当然に忠に優るのです。


孝は、祭祀の基点であり、祭祀の民の教へです。大和民族とともにある教へです。この忠と孝は漢字の伝来を通じて支那を経由して伝はりました。我が国でも、封建による忠を説く士道(武士道)が育ちましたが、それとは別に、天皇への忠も論じられました。


しかし、天皇と臣民との間には、封建のやうな財産関係はありません。あくまでも、家臣は、主君への忠があり、主君は武士の棟梁への忠があり、そして、武士の棟梁は天皇への忠があるといふ三層構造になつてゐるとして、家臣(臣民)から天皇への忠を説明する考へがあります。水戸学がそれです。


しかし、さうでせうか。

征夷大将軍となつた武士の棟梁は、これまでの歴史において、天皇や公家、寺家の土地を実力で取得したものであつて、天皇から封土を建てられたもの(封建)ではありません。仮に、形式的にはそれに似たやうなことがあつたとしても、それは、天皇による封建の恩顧と、これに報ゆる臣民の献身といふ対応関係であるとすることには無理があります。


律令制の時代に、班田収授法により、全ての民に口分田を与へる制度はありましたが、これは長くは続かず、それ以前は、職能集団の部民(べのたみ)をも統括した豪族による土地所有がなされ、律令制が崩壊した後も過去と同じやうな土地私有制が復活したために、土地を天皇から下賜されて代々継承され続けたといふ歴史的事実がないからです。


そもそも、公地公民制は、土地と臣民の私的所有を否定する制度であり、口分田は私有地ではないのです。また、口分田は一代限りです。これは、天皇から官位を授かり、報償が与へられ、官吏としての地位と俸給が与へられることと同じやうに一代限りのもので、その見返りとして、徴兵などの義務が課せられるのです。しかし、これは「忠」とは異なり、一代限りの「義」です。


では、臣民は天皇から末代までの相続を認められた土地を下賜されてゐないにもかかはらず、天皇への忠誠はどのやうにして説明すればよいのでせうか。


それは、やはり生命の恩顧とこれに報ゆる献身の関係としての「孝」で説明がつきます。


ちちははと とほつおやから すめみおや やほよろづへの くにからのみち
(父母と遠つ祖先から皇御祖八百万神への國幹の道)


私たちは、法律的な制度や社会的な制度とは全く無関係に必ず父母が居ます。そして、その父母にもそれぞれ父母が居ます。それを限りなく上に遡ると皇祖皇宗に辿り着きます。


自己を基点として上に無限に伸びる逆三角形の広がりの中に、そのいづれかに皇祖皇宗に繋がる祖先が見出されることになります。そして、その皇祖皇宗の宗家である天皇家とも血で繋がつてゐるといふことなのです。血の繋がりといふのは、命の承継のことです。


これに気付けば大きな感動と感謝の念が生まれます。我々は天皇の赤子であると。


そもそも、士道(武士道)に取り込まれた忠は、もとは財産関係(土地)から出発します。武士道とか、騎士道を純化しようとして、財産的な見返りと打算といふことを嫌つてこれを排除する純粋な精神性を求めることがありますが、それは観念論であつて現実はさうではありません。


そして、もし、天皇と赤子(臣民)との関係が、そのやうな財産関係からは出発するのであれば、金の切れ目は縁の切れ目となつて恒常的、永続的なものではなくなります。


士道は、土地(財産)を契機とし、皇道は生命(血縁)を契機とします。ここで言ふ血縁とは、生命の継承のことです。命を授かつたことの恩顧は不変です。


それゆゑ、士道は私道であり、皇道は公道です。かくして、天皇と臣民との関係は、忠の根源である「孝」から生まれるといふことです。

祖先の宗家である皇室への孝、この「至孝」こそが天皇への忠なのです。


ケルト人にとつても、これは同じです。祭祀の民であるケルト人は、孝を至上のものとするために、恥辱に塗れながらも生きながらへて、軍人として忠節を尽くすよりも、祖先への孝を選んだのです。つまり、ケルト人にとつては、孝あつての忠なのです。


この忠と孝。この関係について、前に指摘したとほり、いろいろな議論がありました。しかし、忠を至上のものとして、「大義親を滅す」と二者択一を迫つて力む必要はありません。

父母の孝から始まつて祖先(とほつおや)、さらには、皇祖皇宗(すめみおや)から八百萬(やほよろづ)の神々への血縁への報恩といふ「至孝」を想起すれば、おのづと孝を基軸として忠孝一如に至るのです。


親の心は、大義のために子が働くことを喜びとするものであり、不幸にして親を滅することがあつても、それも孝なのです。


この孝こそが、祭祀のための基点であり、これが実践できない者の忠は、決して本物ではありません。拙著「皇道忠臣蔵」を読んでいただければ、萱野三平の自害は、士道を仮装した皇道の実践のための悲劇であつて、忠孝一如で完結してゐることが理解できます。


その意味では、忠と孝の相剋といふのは本質的には存在せず、その表面的な相剋も解消できます。ところが、祭祀と宗教と関係における孝についての相剋は、致命的なものと言へます。


この孝は、宗教では邪魔になるのです。表向きは孝を徳目としながらも、宗教への帰依と信心と比較して、孝を下位にし、信心の前では否定されるのです。孝は、常に信心を揺るがす危険性があるため、原則的には、孝を否定ないしは排除することによつて宗教は維持されます。


長い歴史の中で、宗教は祭祀を否定するに至ります。神仏に従ふか、それとも祖先に従ふか、といふ二律背反の究極の選択の事態になつたとき、宗教は祖先を否定します。そして、祭祀の基軸となる孝を否定し排除することで宗教が維持されるために、この孝を巡る相剋がこれまでの人類における信仰世界の最大の課題として、今もなほ続いてゐるのです。


南出喜久治(令和2年2月1日記す)


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