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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百三十九回 依代と象徴 その二

ふさがれし うみくがのりを はなつちは たみのいさみと こころのおきて
(塞がれし(占領されし)海陸(皇土)法(法体系)を放つ(解放する)道は民(臣民)の勇み(勇気)と心の掟(心構へ))


我が国全体が占領憲法に毒されて、合はせ鏡の如く、臣民(皇民)の絶滅危惧状態下で増殖し続けた「国民」の精神的劣化に付合するかのやうに、皇室もいよいよ劣化してきました。多くの人にはそんな自覚と危機感が全くありません。


儀式などの形式行事が繰り返され、皇統といふのは血統だけを守ることであり、しかも、女系でも生物学的な末裔であれば、それが代々続く限り、それでよいのだとする形式護持の考へが支配的になつてゐます。


しかし、皇統は、男系男子の「血統」だけではなく、それを器として注ぎ込まれる「霊統」にこそ重要な意義があります。


血統と霊統が糾はれて皇統が維持されるのです。


この血統と霊統とか皇統の要諦であることについては、古事記に書かれてゐることで理解出来ます。


天照大御神(アマテラスオホミカミ)と速須佐之男命(スサノヲノミコト)の、いはゆる瑞珠盟約の章に、「於是速須佐之男命答白、各宇氣比而生子。(ここにおいてはやすさのをのみことこたへまをししく、おのおのうけひてこうまむとまをしき。)」(古事記上卷)とあり、また、『日本書紀』にも、これと同じ場面において「誓約(うけひ)」(日本書紀卷第一神代上第六段)があります。


さらには、「卜問(うらとひ)」(日本書紀卷第五の崇神天皇七年の條)といふのもありますが、これも「うけひ」(誓約)と同じものです。


「うけひ」といふのは、意味的には「請霊」です。


スサノヲノミコトがその「心の清く明き」を示すために、アマテラスオホミカミとスサノヲノミコトとが「うけひ」にて「子生まむ」としたことが「うけひ」の始まりです。これにより、スサノヲノミコトの「心の清く明き」ことが証明され、スサノヲノミコトのうけひによつてオシホミミノミコトを含む五柱の男神が生まれました。


その後、オシホミミノミコトを含むスサノヲノミコトの生んだ五柱の男神はアマテラスオホミカミの子となりましたが、イザナキノミコト、スサノヲノミコト、オシホミミノミコト、ニニギノミコト、ホヲリノミコト、ウガヤフキアヘズノミコト、カムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)へと男系男子の神統から男系男子の皇統へと継承されて行くのです。つまり、このうけひといふ神意を知るための誓ひの祈りは、男系男子の皇統護持と一体となる祭祀の柱となつてゐるのです。


かくして、皇統は、血統を器として、その器に霊統が注がれて連綿と続くのです。


そのためには、まづ、器としての血統といふのは、天皇が神裔であるといふことを意味することになります。


昭和天皇は、GHQ占領下の昭和21年元旦の官報で、『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』との詔書を発布されました。

この詔書を「人間宣言」などとGHQの指示でメディアなどが喧伝するやうになりましたが、この詔書のどこにも「人間」なる言葉はありません。


「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」とあることを根拠として、天皇が現御神(あきつみかみ)であることを否定されたとの見解がありますが、天皇宗家が神裔であらせらせることは疑ひの余地がないのです。


昭和天皇が、GHQの圧力でこの詔書を発布されるとき、冒頭に五箇条の御誓文を掲げることに拘られたのは、明治天皇が「天神地祇御誓祭」において、天津神(皇祖皇宗)、国津神に神裔として誓はれたものだからです。


昭和天皇は、神裔であることを断じて否定されなかつたのです。


そして、「茲ニ新年を迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初國是トシテ五箇條ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。」で始まる昭和21年元旦の詔書は、この五箇條ノ御誓文とともに、その後、現在に至るまで、国会でも排除されませんでした。


次に、霊統とは、当代の天皇が皇祖皇宗の神霊の依代(よりしろ)になるといふことです。血統を器として霊統を注ぐための依代となります。


その昔、太宰府の神司である中臣阿曽麻呂が「道鏡を皇位につければ天下泰平となる」との宇佐八幡宮の神託があつたか否かとの真偽は兎も角も、これにより、道鏡に即位させることを望まれた孝謙天皇(称德天皇)は、宇佐八幡宮に再度のご託宣を賜るために和気公を勅使として遣はされた。ところが、和気公が「天之日嗣、必立皇緒、無道之人、宜早掃除」(あまのひつぎは必ずこうちょを立てよ、無道の人よろしく早く掃除すべし)と、御叡慮に反する宇佐神宮の託宣が下つたとして天皇に奏上されたところ、その返照は、これが嘘の報告であるとして勅勘を受け遠島となりましたが、後にこの詔勅は「非勅」であることが明らかとなつたため、和気公は復権し、「天皇と雖も國體の下にある。」とする我が國是が遺憾なく発揮されました。


ここに出てくる「天之日嗣、必立皇緒」の「天之日嗣」とは、皇祖皇宗の「霊統」を受け継ぐ者であり、その者は、必ず「皇緒」、すなはち、男系男子の神裔の「血統」の者でなければならないといふことなのです。


つまり、皇統とは、神裔でなければ霊統の依代にならないことであり、それ以外の者が皇祖皇宗の神霊の依代にはなりえないことを意味します。


大嘗祭の要諦は、この霊統に関する依代となる秘儀の儀式なのです。


依代は象徴と似てゐますが、本質的に異なるのは、依代とは、降神、昇神する神との関係性が初めから存在するのが依代で、それが存在しないのが象徴です。象徴は、人間が決めるものですが、依代は神が決めるものです。神が認められる清浄なるものでなければ依代とはなりません。


特に、皇祖皇宗の神霊の依代は、その血統を受け継ぐ神裔である天皇に限ります。上御一人(かみごいちにん)の意味は、この意味です。


ちなみに、常設の神殿を設けなかつた古神道に由来する神籬(ひもろぎ)は、霊(ひ)諸(もろ)木(き)の意味だと思はれますが、これが依代なのです。

そして、延喜式に基づいて定められた常設神殿による各神社の御祭神は、霊御形(みたまのみかた)といふ物が常設の依代となり、ご神体となります。


また、伊勢神宮や賀茂神社では、未婚の内親王や女王が斎王(いつきのみこ)となつて、天皇即位の初めに天皇の名代として奉仕するのは、大嘗祭の雛形となつてゐるものです。


一般に、依代とは、かはりのもの、つなぎもの、代用であり、御霊代(みたましろ)の意味です。

つなぎのものといふのは、糊代、縫ひ代、足代、折り代、伸び代などのやうに、二つに分かれたものを繋ぎ合はせることです。


皇祖皇宗の神霊が上御一人を依代として一体となることで、霊(たま)と体(から)とを繋ぐのです。それが大嘗祭で行はれます。皇祖皇宗の神霊が降神し、当今は現御神(あきつみかみ)、現人神となります。大嘗祭が終はれば、皇祖皇宗の神霊は上御一人の体(から)から離れて昇神します。


天皇であることの証として大嘗祭においてのみ現御神となりますので、天皇は、現御神であるとも言へますし、現御神でないとも言へます。


このやうに、我が国は、「ひながた」と「よりしろ」といふ深奥なる「やまとことのは」によつて理解される「くにがら」であり、「ショウチョウ」といふ軽薄な漢字語の表記と発音を見たり聞いたりしても、胸に響くものがありません。


やはり、我が国は、「ことたまのさきはふくに」(言霊の幸ふ国)なのです。

南出喜久治(令和元年1月15日記す)


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